事業主紹介Introduce

事業主杉山憲三Business Owner Kenzo Sugiyama

プロフィール

1996年から不動産業界、証券業界に在籍していました。
キャリアを通じて不動産投資に関わってきましたが、かなり幅広いことをやってきたと自負しております。
国内機関投資家や海外機関投資家が投資する私募オポチュニティファンドから、個人投資家から資金を募って行った京都の町家事業やクラウドファンディングまで。
さらに証券業界に在籍していたときには顧客の不動産投資助言や仲介、さらにはサラリーマン大家さんへのアドバイザリーなども行っていました。
( 経歴はこちら)

また、国土交通省嘱託事業の不動産特定共同事業法関係の委員を務めさせていただいたり、各種講演やセミナーにも登壇していたりと、結構オモテに出たがり屋さんです。(講師・講演実績はこちら)

現在は暁キャピタル・アドバイザーズの執行役員CIOを務めながら、インテグリティ・インベスト・サービシーズの個人事業主として活動しています。

ひととなり

1970年生まれ。埼玉県在住。妻・娘・息子・黒柴・うさぎ・カメ・熱帯魚・やもり・そのえさのコオロギ(季節限定)と同居中。休日はクロスバイクでサイクリング、読書などで過ごしています。ラジオリスナーです。

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講師・講演実績

経歴

1994 ~ 2003

バブル崩壊~不動産ファンド黎明期

入社した翌年である1995年は阪神淡路大震災から始まり、地下鉄サリン事件などの社会不安に加えて、金融機関の倒産が相次ぎ日本の大きな崩壊が表面化した年でした。その反面、Windows95やAmazonが世に出たタイミングでもあり、今になって考えると世界的な大構造転換の萌芽が生まれていたときです。
大成有楽不動産
経営企画室
・間接経費削減を目的とした、社内業務システムの刷新開発
プログラミングから社内SE、UNIX-Oracleをホストに社員ひとりにPC1台を充てるクライアントサーバーシステムの構築を行っていました。

ビル事業部
・固定資産(ビルや商業施設など)の売却
バブル崩壊により国内の買い手はほぼ壊滅するなかで、数百億円の国内固定資産の売却に関わりました。1999年に米系ファンドに7物件をまとめて信託受益権化して売却。日本国内における初めての不動産証券化は渋谷の東邦生命ビル(現クロスタワー渋谷)だと言われていますが、ほぼ同じタイミングでの取引でした。少なくとも当時の安田信託銀行(現みずほ信託)では初の不動産管理処分信託だったはず。

・プロパティマネジメント
売却した物件や、侵攻する外資不動産ファンドの不動産管理業務を受託するプロパティマネジメント事業の立ち上げを行い、実際にプロパティマネジメントに従事しました。しかし、ほとんど社内ノウハウもない環境でひとり走っていたので経験不足だったことや、外資企業への若い心情的反発もあったので、当時のお客さんには大変迷惑をかけてしまったなぁというのが正直な感想です。失敗の連続だったと思います。スミマセン。

2003 ~ 2008

不動産ファンドバブル~リーマンショック

9.11事件が起きた2001年には初のJ-REIT上場がなされます。外資が大量に日本の不動産市場に流れてくる中で、顧客の外資社員の放埓ぶりや委縮したままの会社の姿勢に嫌気がさし、初めての転職をします。当時飛ぶ鳥を落とす手前くらいのAM会社に入社しましたが、入社当日にそのレベルの低さにこれはやばいと思い、再度転職活動を開始。まだファンド業界が黎明期であったこともあり、大手の野村不動産に転職できました。
野村不動産
資産運用カンパニー~野村不動産インベストメント・マネジメント
・オポチュニティ型の私募不動産ファンドのアセットマネージャー
オポチュニティ型というのは不動産の入居率向上やリノベーションなどにより期中収益を向上させ、それにより大きな不動産売却益を狙う投資戦略を意味します。その戦略に必要な業務執行を行っていました。この期間に今に至る業務や仕事に対するベースの考え方やスキルを植え付けていただいたように思います。Integrityという考え方に重きを占めているのもここでの経験によります。運用資産の規模が大きくない間は複数の用途の不動産を扱っていましたが、その後オフィスビルセクターを担当する課長さんになりました。

2008 ~ 2020

インバウンド隆起~コロナショック

2008年にいわゆるリーマンショックが発生します。私はその直前に高収入のオファーに釣られて野村不動産を退職しましたが、あえなく転職先は事業撤退。いきなり放り出される格好になりました。実際にかなり焦ったのですが、当時不動産ファンドの運営に頭を悩ませている上場証券会社に拾われます。この会社には悪い印象しかかかないので名称伏せておきます、笑。でも結構長くいましたけどね。
某上場証券会社
関係会社 執行役員 不動産投資事業本部長
入社した当時、その証券会社では300億円程度の残高の不動産ファンドを運用していました。しかし、リーマンショックが訪れるとともに、ずさんな運用の実態もあり、ファンドが借り入れているノンリコースローンの貸し剥がしが始まっていました。その尻ぬぐいをすることで社内評価を上げていたような暗黒時代です。尻ぬぐいの時期が終わって新しいことをやろうにも、不動産関連事業については一切取り合わないという環境で、キャリアに一番悩んでいた時でもありました。しかし、その過程で不動産特定共同事業を追求したことで国土交通省とのリレーションなども作られ、自分がやりたい事業を見つけた時期でもありました。

某ブティック型証券会社
執行役員 不動産本部長
不動産特定共同事業というのは許認可のハードルが高く、事業ができる会社が非常に少ないのですが、なぜかその許認可をもっている証券会社を見つけます。いわゆる窓口業務を行うような一般的な証券会社のイメージとは違う、富裕者層向けの証券会社でした。そこで富裕層の資金で京町家のリノベーション再生を行う不動産特定共同事業を進めることができました。しかし、会社としては投資資金を出さないことが前提であり、不動産の買い付けと投資家資金調達を同時並行して行う環境は相当にハードでした。しかし、セミナー発信などを頻繁に行ったことで、いわゆるサラリーマン大家や富裕層の不動産投資相談を受ける機会が多くあり、それまでの不動産投資ファンド経験とは違う世界を経験できました。その後、この京町家事業の実績を評価いただいて、某上場不動産会社で事業をつづけさせていただき、クラウドファンディングのプラットフォームも使わせてもらったりもしたのですが、2020年にCOVID-19がやってきます。インバウンド需要を前提とする京町家事業はあえなく頓挫し(私は大丈夫だと考えていたんですけどね、笑)、ほとんど放逐される形でその会社を去りました。

2020 ~ 2024

コロナショックから現在(円安インバウンド沸騰)

2012年に800万人程度だった訪日外国人数がコロナ前には3,000万人を突破。コロナショックによりその市場はいったん崩壊するも2023年から急速に回復。記録的円安も背景に2024年はコロナショック以前のレベルを超える見込みです。そのコロナショックの期間に、私が飛び込んだのが物流不動産投資の世界でした。これはまさに現在進行形の話でもあり、面白い話はつきません。
某不動産会社
不動産投資営業部長
物流不動産ファンドで投資する物件取得に従事していました。在籍期間で資産運用規模が1600億円程度に成長していて「まぁそこそこという感じだったのですが、部門と経営陣が衝突(といえるほどのレベルでもなく、くだらんパワハラみたいなものですけど)で、私を含めた部門メンバーが大量離脱ということで現在に至っています。

2024.9.1
おかげさまでお客様のご協力もあり、個人事業を開始することとなりました。

保有資格

  • 宅地建物取引士
  • ARES不動産証券化マスター
  • 不動産コンサルティング技能(未登録)
  • AFP(未登録) 等

講師・講演実績

そのほか実績多数です 
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