電車の乗り継ぎのときに立ち寄った本屋で本を買いました。
店頭の棚で同じ表紙がいくつも並んで、その下には平積みで置かれている感じ。
今年の本屋大賞の受賞作。
本の買い方にもいろいろあるわけで、なんの考えもなくふらっと本屋さんに入って本棚をだるーんと眺めながら、なんとなく手にしたものをぶらーんとレジにもっていくパターン。
大きな本屋に入って、お目当ての本を検索機でサッとと調べて、サッとレジに放り込むパターン。
突然、活字欠乏中毒みたいになって、頭から湯気を出しながら適当に2.3冊を狂乱的につかんでレジに叩きつけるパターン。(本当に叩きつけるわけではないからね)
共通しているのは支払いについては電子マネーなどではなく、現金で払うということ。
利幅の少ない本屋さんに余計な決済手数料を負担させないのは、令和の本読みが備えるべきマナーであるとアタクシは思ってるんざます。
当然ですけど本屋に入ると、「売上ランキング」やら「話題作」、「映像化作品」などの表記とともに、売れ筋の本や売りたい本が目立つ店頭に陳列されている。
今は発表されたばかりの本屋大賞の棚にどの本屋さんもなっていますね。
文学賞の王道である芥川賞、直木賞のときも同じ感じになる。ただ、私の勝手な想像・推測でいくと伝統的なこの二つの賞よりも、本屋大賞の方が例えば売上(つまり特需のレベル)や本屋さんの力の入れようが勝っているのではないでしょうか。
実際に、私の場合、伝統二賞の本を手にするときにはちょっとその本のテーマとか自分との相性を確認してから買っていたりする。芥川賞のときなんかはそのときの気分でスキップしてしまうこともあるくらい。
やっぱり数人のえらい人たちが選考委員をやっているのと、全国の書店員さんが一般のお客さんに読んでほしいという趣旨で選考する本ではその雰囲気が明らかに違うんですよね。
本屋大賞作は何より読みやすいし、わかりやすいものが多い。嫌な言い方をすると無難、大衆的、とっつきやすい、要はわかりやすく面白いってことかしらん。
その意味では本屋大賞作に対する私の買い方というのは非常に特徴的で、単純に何も見ないで手に取ってそのままレジに向かうというパターンになる。芥川賞、直木賞作では一応の吟味のプロセスを経るのですが、本屋大賞にはこれがないんですね。なので作者の名前やタイトルまで、頭に埋め込まないで読み進めていたりもする。
一方で、この本屋大賞、読み手の私にとっては別の視点があったりして。
前の繰り返しですが、これって全国の書店員さんが選んでいる。私1970年生まれの54歳、今年55歳。あきらかに受賞作を選ぶ感性が自分よりもかなり若い。
それにうまく言えないんですけど、なんとなく2020年ころから大賞作の毛色が結構変わってきているような気がするのね。
あまりよくない方向の推論になってしまうんですけど、近年の社会や未来に対する閉塞感、元気が欲しい、今を忘れたいという世の中の雰囲気を強く感じるんですよね。
もう、こういう立場というか仕事の立ち位置だと、若い人と胸襟を開いて話すことなど皆無だし。取引先だって大企業や外資企業などの一種のエスタブリッシュメントさんばかりだし。そう考えると、私って市井のことを見ているようで、実はまったく見えていないのはと思うのです。そう考えると最近の本屋大賞の受賞作って、今の世の中を覗く望遠鏡みたいな感じがするんですよね。ま、そうじゃないのもあるけど。
むちゃくちゃ陳腐なセンテンスを言うと、「本屋大賞は時代を映す鏡」なんですなぁ、私にとっては。